No title

 

 

 

 

 

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戻ってくる場所 

 

 

 

Today's authour くるぶし

 

朝起きて、昨日の夜食べたお菓子のことが頭に浮かんで後悔する。

 

シャワーを浴びて、髪を洗いながら今日の予定のことを考える。

 

パンにジャムを塗りながら、ストーブの灯油を補充しなくっちゃと思い出す。

お昼のご飯も炊いておかなくっちゃ。

 

テーブルについて、コーヒーを片手にパソコンを開いて見る、

そのままパンを口に入れる。

 

メールを確認し、毎日更新されるお気に入りのブログもチェックする。

「そうだよな」と思いながら、またコーヒーを口にもっていく。

 

だけどいつのまにかコーヒーは無くなっていた。

 

。。。

 

 

わたしは いま どこにいて なにをしているのだろう。

 

「自分と重なる」ことだけを求めているのに

 

自分でそこから急ぎ出ているんだもの。

 

何かをしながら、別の何かを考えている。

 

ああ。

 

やっと、いまこうしてパソコンのキーを打っている

指先の感覚に気づくことができた。

 

ただいま。(笑

おかえり。

 

 

Life is crap

 

Life is besutiful.

 

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心 にきく

 

 

 

 

 

Todaya's author くるぶし

 

お兄ちゃんへ お疲れ様^^

 

「心にきく」やってる?

「心よ」と自分の中の心に話しかけるっていうこと。

(「心にきく」については、インサイトカウンセリング・ブログ参照)

 

 

私ね、一番信じられない自分に聞くなんて。。。

 

もっと信じられる誰かの言葉が欲しい。

もっと確かなもの。

 

そんなふうにどっかで思ってた。

 

でもね、

「信じる」っていうと能動的なことのように思うけど

ほんとはあえて「信じる」っていうことじゃなくて

「邪魔をいれない」ってこと、それだけなのかもしれないね。

 

心は、「信じなさい」とは言ってなくて

私が信じようが信じまいが、いつだってそこにあって見守ってくれている。

 

どうしてだろうね。

一ミリも疑ってなかったよね。

あの幼いころ。

 

周囲でどんな出来事が起こっていても関係なかった。

今思うとよく。。。っていう環境だったけど。

それなのに一切疑ってなかった。

 

。。。だから守られていたのかな。

 

朝起きて夜お布団の中で眠りについて、そして夢の中でも

心がそこにいることに安心していた。

(もちろんそれを「こころ」とかって言葉にはしてないけど)

 

全面的に繋がってて、全面的に信頼してた。

 

そこには誰もいなくて、静かで、そして幸せだった。

賑やかな中で過ごしていてもね。

 

いつだってそこに戻ってこれた。

戻って行く場所があったから安心して出かけていくことができた。

 

 

きっと、このまま過ごしてもなんの問題もない。

「心よ」なんて問いかけなくても

起こることはちゃんと起こっていくし、

今までのようにうまく行ったり、行かなかったりするんだろうね。

 

それでも心はいないわけじゃなくてそこにいて見守ってくれているから。

 

だから、関係ないんだよね。

 

「心よ」って聞いたからって

「うまく」いくとかってことじゃない。

 

そう、何も問題ないんだ。

全然問題ないんだけどね。

 

でもね、振り返ってみたら、

もし、その存在をまた信じられたら

 

きっと嬉しいよね。

「理由もなく」楽しいかもしれないね。あの頃みたいに。

 

 

今日は、できるだけ邪魔(雑念、誰かの声)を

いれないで過ごして見ようと思う。

それができたらもう1日。

 

いや、1日なんて欲張らずに

この一時時間でいい。

 

今日最後の1回かもしれない、今この瞬間だけでも(笑)。

 

 

「心よ」

 

 

聞こえてるかな?

 

。。。 ^^;

 

この前話したみたいに、言葉で返事をくれるとは限らないものね。

 

 

困った時の「こころ頼み」。

それでいいのかも。

 

思い出すために自分から「困っている」のかもしれないしね(笑)。

 

じゃあね。

 

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みんなゴッホ

 

 

 

 

Today's author くるぶし 

 

お兄ちゃんへ^^

今日は休みだっけ。ゆっくりしてる?

 

あのね、この前深夜のテレビ番組でゴッホの特集をしてたんだけどね、

ゴッホは行ったことすらない日本にものすごく憧れていたんだってね。

彼が弟に書いた手紙で日本のことをこんな風にかいてるよ。

 

 

日本の芸術を研究すると、紛れもなく賢明で、達観していて、知性の優れた人物に出会う。

彼は何をして時を過ごすのか。地球と月の距離を研究しているのか。違う。
彼が研究するのはたった一茎の草だ。

 

しかし、この一茎の草がやがては彼にありとあらゆる植物を、

ついで四季を、風景の大きな景観を、最後に動物、そして人物を素描させることとなる。

彼はそのようにして人生を過ごすが、すべてを描くには人生はあまりに短い。


そう、これこそかくも単純で、

あたかも己れ自身が花であるかのごとく自然のなかに生きるこれらの日本人が

われわれに教えてくれることこそもうほとんど新しい宗教ではあるまいか。


もっと大いに陽気になり、もっと幸福になり、

因襲の世界でのわれわれの教育や仕事に逆らって

自分たちを自然へと立ち返らせることをせずに、

日本の芸術を研究することはできないように思われる。

 

 

これが書かれた1888年、明治時代の日本人が実際どんなだったかわからないけれど

見たことのない日本と日本人を彼はこんな風に思い描いていたんだね。

思い描くというより、もう彼本来の信仰の象徴そのものだったんだろうな。

 

最後の、

もっと大いに陽気になり、もっと幸福になり、

因襲の世界でのわれわれの教育や仕事に逆らって

自分たちを自然へと立ち返らせることをせずにというところ。

 

なんだかOSHOの言葉を思い出すよね。

どちらも日本と日本人に対して特別な思いを抱いていたでしょ。

 

二人とも今の言葉でいうとブッ飛んでいるっていうのかな(笑)。

 

自由っていうと、

ヨーロッパとか北アメリカとかっていうイメージがあるけど、

自由な精神とか、全面的な反逆、全方向からの自由とかっていうのは

勝ち取るような派手なものじゃないのかもしれないね。

 

けど、退屈とは程遠いリアルな感動にふれる場なんだろうなぁ。

きっとそれをゴッホは絵にしたんじゃないかな。

 

実際に日本にきたことがないのに、

それを思い、描いて、そしてそれを生きようとしたんだろうね。

 

面白いね。

だって今は逆に、私たちの方がゴッホを実際に見てないのに、

こうやって彼の生き様を思い描いているんだもの。

 

彼の言いたかったこと、描きたかったこと、自ら生きようとした彼の信仰を

私たちもまた自らに重ねて生きようとしてるんだものね。

 

当時とは全く違う環境の中で、いろんなものが溢れている中で、

相変わらす同じ思いを憧れを抱いているとしら

 

彼が教えてくれているメッセージは

時を超えて在るものに、彼(=わたしたち)の中に在るものに、

幻想を超えて重なることができる大切な手がかかりに思えてこない?

 

かといって、だからこうしようとかってできるものじゃなくて

それがもどかしかったりすんだけど(笑)。

 

それでも、それを思うことであんな偉大な教科書の中の存在が、

単に有名な「ゴッホ」でるということ以外の存在として感じられるし、

 

「芸術」というのが特別な人のものではなく、

自分(その人)の中にあるものだと思えてくるの。

 

田んぼを耕す人も

赤ん坊にミルクをあげる母親も

公園であそぶ子供達も

 

教える人も教わる人も

泣いてる人も笑ってる人も

 

みんなゴッホ。

 

みんなその人の中に、ゴッホの中にあった信仰、芸術がある。

 

お兄ちゃんも私も

Mも二人の甥っ子も(二人はもう巨匠よね・笑)

 

なので今日は、甥っ子兄画伯の絵を使わせてもらったよ。

 

じゃあまたね。

ゆっくりね。^^

 

 

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COSMOS

 

 

 

 

Today's author くるぶし

 

曇り空のコスモス

 

COSMOS(コスモス)っていう名前はギリシャ語の「美しい」からきているそう。

 

(ギリシャ語「Kosmos, Cosmos」=「美しい」「秩序」

 宇宙のことをcosmosと呼ぶのも同じ語源で、

星々や花びらが整然と並ぶ様子の美しさを称えたもの)

 

しおれてしまったもの

花びらが数枚しかのこってないもの

もう全部散ってしまったあとのもの

 

それでもCOSMOS(宇宙)はその秩序の中で完璧な美しさを映し出している。

 

何を完璧というかによるかもしれないけど

「不揃いがなく」という意味であれば決して「完璧」ではないけれど

それが返って「ライブ・フレッシュ」な感覚をもたらしている気がする。

 

生きている感。

 

「生きている」ということが感じられる方が、それがどんな状態であろうと

たとえそれが(生きている感を)「失いつつある」、

あるいは「終わり」を迎える瞬間のそれだとしても

まさにそれがライブフレッシュだし、だから美しいと感じるのかもしれない。

 


不揃いのCOSMOS(コスモス)。

 

コスモスはいつも上を向いて咲いてるけど

人はコスモスを下から見上げることはあまりないよなぁ。

 

今日も

Life is crap

 

Life is beautiful.

 

 

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True Colors .2

 

 

 

 

Today's author くるぶ

 

お兄ちゃんへ ^^

 

この前教えてくれた今井美樹さんの

「野生の風(国際フォーラムのコンサート)」の画像、

とても素敵だった.。

 

ああいうのを今の新しく出てくるテレビの画面で見たらどうなんだろうね。

画像はもちろん、音声もめちゃよくて臨場感があるんだろうな。

普段の流し見するテレビには必要ないけれど、

ああいう映像はやっぱりいい画像、いい音で聞いて見たいと思う。

 

今出されている最新のテレビの画像ってさ、

「今まで見えなかった色が見える」ってうたってるじゃない?

いままで同じように見えていた「あれ」が、

実は違う色の「あれ」と「あれ」だったなんてすごくない?

 

今まで見ていた目の前のそれは本当のそれじゃなかったってことでしょ。

色だけじゃなくて、今丸く見えているものはその背景が見えてないだけで、

ほんとは四角なのかもしれないってことだもの。

 

そのものに「色」があるわけでもなくて、

それが光の屈折によるものだってわかってはいるけれど、

見る側の「眼」そのものの屈折(カーブ)や、可視光域によっても見え方が違ってる。

しかもそれを「脳」がそれそれに画像処理してるんだものね。

 

だとすれば、

たくさんの色が見えることが真実っていうことでもないし

たくさんの音が聞こえることが真実っていうことでもない。

 

ある人にとって何でもないものが

誰かにとっては思わず目を留めてしまうものだったり

 

たった一つの色(と見えるもの)が、

誰かにとっては何色もの複雑な彩に見えたりする。

(実際の可視とは関係なく)

 

音だって昨日までなんでもなかった曲が、あるシーンにマッチすることで

心に響いて聞こえてくることってあるじゃない?

 

受け取る側によって決まってしまう目の前の「世界」は一つではないし、

その受取手も変化し続けているわけだから、それぞれの世界もまた変化し続けている。

 

ほんとに、私たちって同じものを見ているつもりで

全く違う世界を見ているんだろうね。

 

色も、音も、それらが紡ぎ出す物語も。

 

だからね、

美しさを浮かび上がらせてくれるそれ以外の色をたくさん持っていることって

素敵なことかもしれないよね。

 

それ単独でみると暗くて寂しい色だったりするけれど

それらを通してみることで今の目の前の世界に光をあてることができるとしたら。

また、時間を経て見る側に変化が起きて、

それによって(見える)色もまた変化し深みをますのだとしら。

 

懲りずに暗い色をかき集めてきた甲斐があったのかも(笑)。

 

きっとお兄ちゃんもだね。

だって、お兄ちゃんが話す何気ない出来事って

ドラマの高視聴率シーンみたいだもの(笑)。

 

他の人が話すとなんでもないことに聞こえる、というかそれ以前に

誰も気に留めないような日常のワンシーンがそんな風に浮かび上がってくる。

 

多くの中の一人である「誰か」がそこで主人公になってる。

 

きっとそのシーンを見たくて、聞きたくて周囲に人が集まってくるんだと思う。

自分も、お兄ちゃんの語る美しい世界に参加したくって。

そしてその中で一緒にその美しいシーンを創りたいって思うんじゃないかな。

きっと。

 

応援してます^^

 

 

あ、ちなみに冒頭のテレビの話で気になってるのがこの、

SONY 4K有機ELテレビ ブラビア

これで聞いてみたい「野生の風」!

見て見たい、あのラストの美樹ちゃんの美しい姿を!

 

じゃあね。

 

 

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一息(ひといき)

 

 

 

 

Today's author くるぶし

 

お兄ちゃんへ ^^

 

 

今日は 朝からやな感じで落ち着かないんだけど、

そのなかに一瞬だけ、一瞬だけ優しい心地よい感じがやってくる。

 

それがいつもほんとはそこにあるものなのかも。

いつもは感じられないだけで。

 

でも、感じられなくても

あるんだよね。

 

感じられなくするのは

体調の変化だったり(女性はとくにあると思う)、

頭の中の出来事だったり。

 

ああ、一息つきたい と思ってるけど

一息だって、100息だってつく時間があるのに

時間がないって思ってる。

 

気持ちがす〜っと動いてる。

どこかに行こうとして

自分をせかしてる。

どこにもたどり着かないのにね。

 

だから、

この場で一息。

 

 

週末じゃない

明日じゃない

夜じゃない

 

たったいま この瞬間に

ひといき。

 

 

急に寒くなったね。

家族みんな暖かくしてね。

 

甥っ子達はまだ部屋で裸かな(笑)。

 

じゃあね。

 

 

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No title

 

 

 

 

 

 

 

 

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