我以外皆我師(その2)

 

Today's authour  くるぶし(妹)

 

 

昨日の夜、兄からメールが届きました。

 

くるぶし。すごい!

ブログ(まだ読んでないで!)開いた途端に、タイトルの宮本武蔵の「我以外皆我師也」が目に入ったからメールしたんやけど。

 

昨日寝る前に、この言葉を検索したりして、人生の教訓はやっぱりこれや!この言葉を心に刻んで生きて行こうって思いながら眠りについたが!(笑)
マジ?繋がってる?(笑)


あのね!、最初、寝る前に「是非に及ばず」って言葉をちゃんと知りたくって検索したが。

信長の言葉やけど。それで、ふう〜んって思いながら次に「我以外皆我師也」を思い出して検索したがね。

自分以外の他人、自然、その全てから学ぶ事が出来るってことで、これってたぶん いま ここにいないと出来ない事やろ?
意識で物事をジャッジしてたら不可能な事やもんね?
やっぱり究極はこれかも!

 

昨日の記事のタイトル 「我以外皆我師也 (我れ以外みな我が師なり)」は、吉川英治の小説「新書太閤記」や「宮本武蔵」の中で出てくる(語られる)言葉です。

意味は兄がメールで書いてあるように「自分以外の他人、自然、その全てから学ぶ事が出来る」ということを言っています。

 

吉川英治の「宮本武蔵」を読んだきっかけは、私と兄がお世話になった大嶋先生がご自身のブログで紹介していたのを見たのがきっかけです。

 

いま大嶋先生のブログでは、「読者の皆さんと繋がって書く」とか、「編集者の脳と繋がってかく」とかっていう表現が出てきますが、先生は前から脳の繋がりとその影響について書かれています。

兄のメールの内容を踏まえても、私がブログを書く際に「お兄ちゃんへ」という言葉から兄に向けて書くときは、やはり兄の脳と瞬時に繋がるのではないかと思えて面白いです。^^

 

そして、「我以外皆我師也 (我れ以外みな我が師なり)」の言葉。

 

親(大人)と子供、教師と生徒、上司と部下などそういった上下関係において何かを教えたり教わったりすることは当たり前のように見られるし、関係の上にいるものを下にいるものが尊敬することもよくあることかもしれません。ですが、私自身「先生」と呼ばれる仕事をしていても、生徒から教わることは毎日です。

 

作家の山田詠美さんだったと思うのですが、

「大人が経験して先に習得しているたいていのことは、子供もいずれ経験すれば習得することのできるものがほとんどであるのに、それを教えることで自分の方が優れていると錯覚している大人がいる。経験とは関係ない、感性の豊かさなどは大人よりも優れている子供がたくさんいる」と、小説かエッセイかに書いてあるのを読んで共感したことがあります。

 

言葉やお箸の持ち方から始まって、大人が子供に教えてあげなくてはいけないあれこれ。

私がいま教えている「算数」や「漢字」だって、それはただ先に習得しているから教えることができるにすぎません。何かを多く知っていること、何かをより多く(上手く)できること、そういったことの全てが、ただ(経験の)順番によって教えてあげられるだけです。

けれど経験の少ない彼らに私が教わることは、私が経験から取りこぼしてきたこと、あるいは返ってその経験が邪魔をして見失っているものだったりします。

 

最後に最近見つけたお気に入りのエド・シーランの動画を紹介させて頂きます。

本人の動画なのでしょうが、赤ちゃんの彼をみていると、そこにこうして存在していること自体が完璧で奇跡じゃないかと思えてきます。

いつのまにか生きていることはあたりまえになって、周囲が、そして本人が本人に「もっと、もっと」と求めていきますが、実は「求めている」から教えよう(わからせよう)としていることがあると思うのです。

でもこの動画を見ていると「存在」以外のすべてはおまけなのではないかと思えてきます。

赤ちゃんの歩き出すときの感動と、大人になってからの彼(彼女)の小さな発見は同じように愛そのものだと思います。

 

 

おにいちゃんへ。

甥っ子二人のこんなころ、そして今。奇跡だね。

小学生の師匠二人によろしく。^^

 

 

 

当たり前なんかでない、皆様の奇跡の1クリック、毎回兄妹で感動しています。今日もよろしくお願いします。             

                      犬  猫

                                      

                                      

我以外皆我師也 (我れ以外みな我が師なり)

 

Today's authour  くるぶし(妹)

 

 

おにいちゃん。お疲れ様。^^

 

 

塾の夏休みが終わって、また夏期講習が始まったよ。

 

小学生も、受験生もそれなりに、それぞれに頑張ってる。

 

 

 

最近の私のお気に入り。

それは教室で突然聞こえる、算数のプリントを解いてる生徒の言葉。

 

 

 

 ぜん わっかんねぇ 

 

 

 

いいなぁ。

 

 

そこからだもんね。始まるのは。

 

そのむこうがあるってことだもんね。

 

 

 

「はい、かしこまりました。」

 

 

なんていってる自分はとっても大人らしいけど。

 

たまにはホンネってみたいな。

 

 

 ぜん わっかんねぇ 」って。

 

 

「全然わからない」から、新しいことを受け入れることができるんだものね。

 

 

小学4年生、男子。

 

今日の私の先生です。

 

 

 

じゃあ、またね。^^

 

 

  今日もお読み頂きありがとうございます。応援クリック、よろしくお願いします。

 

                 犬  猫

                                      

 

 

 

とんでもない とんだ 発想

 

Today's authour  くるぶし

 

 

お兄ちゃんへ。

 

お疲れ様^^  昨日は残業9時半までか。

新しい仕事に慣れるまで(新しいことを覚えるまで)、教わりつつ覚えつつその日のことをやって行くのって時間かかるものね。

 

「残業」といえばね、この前NHKの番組、クローズアップ現代で残業ゼロを実現した町工場の取り組みを紹介してたの。見た?その取り組み方がね、超!画期的だった(笑)。

 

今って、実は人材不足なんだってね。だからその工場の社長は優秀な人材を確保するために他の同業者と差別化を図ることが大事だと考えて、いち早く現社員の残業ゼロに取り組み、次に完全週休3日制を取り入れていくことにしたんだって。

 

どうやってゼロにしたと思う? 

町工場の仕事はどこも同じように常に締め切りに追われていて、ほとんどの社員が残業ありきで働いているじゃない?紹介されていた工場も例外ではなくて、職人さんたちの仕事は残業代にして10万円が毎月発生するほどの残業の量だったの。

 

それをどうやってゼロにしたと思う?(しつこいけど(笑)。  

 

その工場長がとった決断はね、毎月10万円の残業代が発生している社員には、その10万円を最初から「基本給」に組み込んだんだって!だから、いってみれば「残業代はやるから、残業(8時間を超えての仕事)はするな!」っていう(笑)。面白くない?

 

結果、どうなったか。

見事、残業が発生しなくても業務が終わるようになったの。

 

まず、社員の職人さん一人ひとり、モチベーションが変わるでしょ。

勤務時間の長さが関係なく今までの残業代がもらえるなら、残業なんかしなくていいように少しでも早く、効率よく仕事をしようとする。そうすると自然に色んな工夫をするようになって、作業の効率化が計られたって。

 

そして今までは自分の担当しか関わってなかったけれど、「自分がこなした」量にこだわる必要がなくなってくるから、早く終わったら自分の担当以外の業務も手伝うようになったの。今までの「自分の」という視点から「工場全体」の視点を社員一人一人が意識するようになったってことだよね。

 

それに企業からの発注を取り付ける営業担当も、無理な注文は受けないようにしたんだって。

 

企業の下請けとなる町工場は「無理をしてでも受注をとる」ような感じがあるけど、無理な時は「断る」という姿勢は、逆に言えば引き受ける仕事に対する責任の表れでもあるじゃない?

きちんとした過程で品質のいいものを造り納期までに収めることは、無理をして引き受けている時の関係とは違う、企業からの信頼も得ることができるんじゃないかな。

大きな企業と太く長く付き合って行くには、こんな姿勢が実は大切になってくるのかもしれないよね。

 

それに社員の人も、工場のそんな方針やそれを可能にしている自分たちが提供している技術、そしてそれに対する十分な報酬など、その工場で働いていることへの自負へも繋がってくると思うし、そんな社員が働く会社はもちろん活気があるものね。

 

 

番組では他にも週休3日制に取り組んでいる会社を紹介していたんだけど、そのぶん給料が減ったりとか、1日の労働を基本10時間にすることによって週休3日を可能にして、企業側も(基本が10時間だから)残業代が減って経費削減になったとかね。

 

残業代がなくなって、人件費削減。

 

こんな当たり前のような発想。

誰もが当然だって思うこの視点。

 

でも、あの工場長はそんなことぶっとばしてた(笑)。

 

会社のために。そして社員のために。

将来を見据えて。今、するべきこと。

 

目的はおなじなのに、その決断は全く違うもの。

面白いなぁ。発想によって、当たり前が次の瞬間当たり前じゃなくなったりするんだね!(笑)

 

目の前の利益のために動くと見えていないこと。社長自身の視点も「自分が」じゃないんだろうね。

 

お兄ちゃんも責任者になって見えてくるものが違ってきたっていってたでしょ。

いまは、書類の種類やパソコンの操作ひとつひとつ覚えることが最初だと思うから。

そのうち慣れてきたら、いままで色んな経験をしてきたお兄ちゃんだから見えてくる全体からの視点が絶対あると思う。こんな発想で会社も周囲も自分もハッピーになれるといいね!^^

 

 

暑い日が続くから体調に気をつけてね。

 

じゃあ またね。

 

読んで頂きありがとうございます。今日も残業の兄に、お疲れ様のワンクリックよろしくお願いします!

                    犬  猫

                                         

 

 

 

安心感 と 数学と

 

お兄ちゃんへ。

 

お疲れ様。^^ 

 

「責任者」になってから、仕事はどうかな。

といっても、「そのままの くるぶし(兄)さんで 大丈夫です」といって選んでもらった役割。今までやってきたことと、新しい外側の状況がうまく馴染んで(連動して)きたかな?

 

私の方は夏休みから塾の講師を担当する教室が変わって、それを機に自分が随分変わってきているように感じるかな。

気づいたらよく笑っているし、それも地声で安心して笑っている自分がいるの。

 

今までは他の講師の方とのコミュニケーションも生徒に教えるときも、自分の感覚が(活かせるどころか)邪魔になってしまうような感じがあったのね。

だから自分の感覚を封じ込めたうえで、その場その場で頭で考えてこうした方がいいのか、こうするべきなのかってやってたんだけど。。。殆どが裏目に出てしまうし、言うまでもなくしんどかった。そして、楽しめなかったの。

 

でも、環境が変わって新しい教室では自分の感覚をオフにすることなくコミュニケーションをとったり、教えたりすることができるようになって、やっぱり楽しいよね。

 

だってさ、自分の感覚をそこに活かせるからこそ、人は努力したくなるし成長が嬉しいじゃない?

で、失敗の意味がわかるしそれが身になるし、自信に繋がるでしょ。

 

いつだって自分の感覚との(言葉にならない)対話がそこに顕れるからこそそれが自信(自分への信頼)に繋がるって思う。

 

 

この自分の感覚って、大嶋先生のいう無意識の領域(潜在意識)のようなものだよね。

 

大嶋先生が、アメリカでの学生時代にキャンプファイヤーで同級生みんなの前で泣いて、初めて他人と繋がったような安心感を得た気がして、それ以来勉強が捗るようになって、暗記もできるようになったって書いてたのを覚えてる?

 

安心感。 

 

そのままの自分でいいんだっていう安心感。

これがあってこそ人は学ぶことができるし、力を発揮することもできるんだろうね。

 

子供達にも同じことが言えると思うの。

 

数学が苦手、覚えるのが苦手、勉強が嫌いだから。。。この背景には実はこの「安心感」の有無が関係してるんだろうね。

安心して失敗したり間違ったりしながら、その時に言葉にできない自分の無意識の領域と繋がってそこで深い理解が一度でも起これば、それは受験の為の勉強とかテストの為とかでなくそのものが楽しいと思えるんだと思うんだよね。

 

だからね、問題をとくためのテクニック的なことは私より断然詳しい講師の方がたくさんいるから、そこは私の出番は少ないんだけど^^;その、「繋がる」感覚を一度でも一緒に体験できれば、あとは本人の中で勝手に応用が効き始めるわけだから(無意識って、ほんとにすごい!)、だからそのたった一度の体験を生徒たちと共有できればいいなって思う。

 

その時の生徒の瞳(め)が、キラッとするんだけどね(笑)。そのとき、あ、無意識と繋がった無意識発動の合図だ!って思って嬉しくなる。

 

その問題用紙の上で引用されているのは、数学の公式だったり、問題を解く為のテクニックだったりする。でも、その問題を解く時に自分の中で引用されているのは、間違いなく「自分の感覚」なんだよね。

その自分の感覚があって初めて公式やテクニックが自在に使いこなすことができる。

自分の感覚と繋がって努力する時、人はそのままの自分でリラックスしている。

自分の感覚をオフにして努力する時、人は他の何かになろうとして緊張している。

同じ努力でも方向が全く逆。

 

脳科学者の茂木先生も、子供に勉強を教えるにあたってこの「安心感」が一番大切っていってた。

あと行動としては勉強もダイエットも運動も全部、「習慣」にすることが大切っていってた。習慣にすると脳(無意識)が助けてくれやすくなるらしい。有無をいわさず、やる。^^;

 

有無をいわさず、やる。これを可能にする、見守ってくれるのも無意識だよね。

まるで自分を育ててるような感じやね。

 

塾も今週は夏休み。家で数学を(有無をいわざず)やってます。冷や汗

 

 

台風はどうかな?こっちは去ったあとだけど。

じゃあまた連絡するね。^^

 

こちらも「習慣」にしてくれると嬉しいです!今日もくるぶし兄妹に応援クリックお願いします。

                    犬  猫

                                    

 

 

生まれてよかった。。。(46年目のはじまりに)

 

「明日は私の46の誕生日。

 生まれよかったと思ったことは一度もないけれど」

 

これは46の誕生日を前に、わたしの個人ブログ(くるぶしの記憶)に掲載した記事美しい人(母)へ」の中の言葉です。

 

記事をアップした誕生日当日、これを読んだ兄がお祝いの言葉の後につづいてメッセージを送ってくれました。

 


くるぶしへ。

 

お疲れ様。「美しい人(母)へ 」読んだよ。

くるぶしの言葉、思い、愛、すべてがBeautifulだね。

そんでもって、Crap (笑)
ただ・・・、ただ、ありがとう!


そして、やっぱりお母さんも
beautifulでcrap!

 

もちろんお父さんも、
crapでbeautiful!


だから、思いっきり愛して・・・、
思いっきり憎んで・・・。

すべてがライフ イズ クラップ!
だから・・・、ビューティフル!

 

 

このメールをもらうまで、記事の内容が決して明るい仕上がりにはなっていないので^^;、ブログに公表してこのまま残しておくこを迷っていました。

それに、同じ共通する母親への言葉であっても、書かれているのはあくまでも私の世界で見て生まれた今の私の言葉であり(だからこそ残して置きたかったのですが)、仕事で新しい一歩を踏み出したばかりの兄には「重い過去」として映ってしまうのではないかと不安もあったのです。

 

メールをもらって、そんな思いを伝えたところまた兄がメッセージをくれました。

 

 

うん。明るくないけど。(笑)
みんな、「愛」ってある程度イメージがあるだろうけど、あの美しい言葉は間違いなく、くるぶしの「愛」だから。

 


くるぶしの今日の、「くるぶしの記憶の言葉。

お兄ちゃん、今日の仕事の休憩中にそのブログ開いたけど、すぐに閉じた。誰もいない場所で1人で読みたくて。

で、仕事終わって、最寄りの駅に着いてからベンチで1人で読んだんだ。

 

何人の人がこれを読んで、どんな風に感じるかはわからないけど、お兄ちゃんはもちろんくるぶしのお兄ちゃんやからかもしれんし、2人のお母さんだからかもしれん。

 

でもね、くるぶしの言葉は美しいよ。

血をわけた妹が、こんなにも美しい詩を(あえて、の詩)綴るなんて、誇りに思うよ。
そう感じてくれる人は少ないかもしれんけど・・・。
いつか本にしたいくらい。(笑)

 

くるぶしの詩を絵に例えるなら・・・、
ゴッホのヒマワリ[?]
なんでかわかる?
だってみんな、


♪ゴッホより〜  フツーに〜
   ラッセンが好っきぃ〜
♪(by 永野)

 

 

。。。メールを読みながら、途中で泣きそうになりながら、最後は笑えました。

 

たとえ大げさな言葉でも、信頼している兄に、そして言葉にする前の世界を共有してきた兄にそういってもらえることがすごく嬉しかったです。

そして今回兄が送ってくれたメッセージを通して、私の世界もまた少し変化をし、その美しさを見せてくれた気がします。

 

「明日は私の46の誕生日。

 生まれよかったと思ったことは一度もないけれど」

 

こう書いた誕生日前日。

 

「生まれてきてよかった。。。かも。」

 

そう思った誕生日当日でした。

 

 

太宰が好きな方も、フツーに anan が好きな方も「ライフ イズ クラップ」応援よろしくお願いします♪

                犬  猫